ヒゲを当たる
「ヒゲを剃る」ことを「ヒゲを当たる」ともいいます。
英国近衛兵の「ヒゲ」が約100年ぶりに解禁
英王室を警護するウェールズ近衛連隊の隊員にヒゲを生やすことが約100年ぶりに解禁されました。
薙髪(ちはつ)
「薙髪」は「ちはつ」といいます。『広辞苑』に掲載されている言葉ですが、令和のいま使う人は一部の僧侶ぐらいで、一般の人はまず使いません。
理容室と美容室のAI生成画像
AIの進化は早い。自動で画像が生成できるようになって驚いたら、あっという間に動画も生成するようになりました。
怖い「おちゃない」話
髪を失ってしまった人のために、カツラに使う毛髪を寄付する、ヘアドネーション活動は令和のいま定着した感があります。
警察隠語の「ガリ」
理美容業界もかつては、数に関する隠語が使われていましたが、隠語の多い職業といえばなんといっても警察関係。警察では、頭を刈ることを「ガリ」というらしい。
髪結床を二ヵ所増やしてほしい
開港後、間もない慶応4年3月に神戸の走水町の年寄二人が役所に出した「乍恐口上」(*)という書面が残されていて、「髪結床を二ヵ所増やしてほしい」などと要望しています。
美髪王 とよばれたハーラル1世
いまから千年以上むかしのノルウェーに「美髪王」の異名を持つ王様がいました。
「役人風」 安政、万延のころもあった本多髷
江戸中期、享保のころから流行った髷に辰松風、文金風、本多髷があります。
とるに足らぬ『一銭職由緒書』、されど『一銭職由緒書』
『一銭職由緒書』は各地にさまざまな写書が残されています。
髪結床番屋 自身番を兼ねた床番人
髪結床と一口にいっても場所によって、いろいろな形態があります。東海道一番目の宿場である品川宿では髪結床が自身番を兼ねていました。髪結床番屋といいます。そこに勤める髪結を床番人と称します。
三河奴の髷
明治の文筆家、塚原渋柿園の講演録である『幕末の江戸風俗』(岩波文庫)によると、徳川幕府の武士は幕末は講武所風の髷が流行ったことが再三記されていますが、開幕当初は三河奴の髷が流行ったと言っています。
講武所風 鶺鴒髷の太さは?
幕末の江戸で流行ったのが、講武所風(図版参照)といういで立ちです。
篦頭(へらず)は、髪月代とほぼ同義語
篦頭と書いて「へらず」と読みます。意味は、月代にして髷を結うことです。
髷は欧米人にとって嘲笑の対象
江戸時代の髷は日本人独自の髪風俗であり、文化の一つです。しかし、髷をはじめて見た欧米人には奇異に映ったのは間違いありません。
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