伽羅の油
Posted on | 10月 17, 2024 | No Comments
伽羅の油は、鬢付け油ですが、香木の伽羅を含んでいるわけではありません。
伽羅という言葉を「素晴らしいもの」「非常によいもの」として使っているだけで、伽羅の香りはしません。高級品の鬢付け油といった意味合いです。
もともとは、寛永(1624-1645)の末から正保(1645-1648)のころ、武家の中間や小者の間で髭を伸ばすのが流行って、その髭を整え固めるために、流れたロウソクに松脂(まつやに)をまぜた粘度の高いものを伽羅の油とよんでいました。(『落穂集』)
髭を美しく見せるのに優れた油だったのでしょう、そこで「伽羅の油」とよんだ。
『広辞苑』に
「ろうそくの溶けたものに松脂(まつやに)を混ぜて練ったもの。のちには大白唐蝋・胡麻油・丁子・白檀・竜脳などを原料とした。正保・慶安(1644-1652)の頃、京都室町の髭の久吉(ひさよし)が売り始めて広まった」
とあります。
前段の部分は『落穂集』、「のちに」からの後段は、江戸中期の『本朝世事談綺』(菊岡沾凉 述)によるものです。
髭の久吉が売り出した伽羅の油には丁子・白檀・竜脳など何らかの香剤が入っていたのかもしれません。この伽羅の油が人気になり、その後、京都の市宇賀、五十嵐、江戸の大好菴、背虫喜左衛門などでも伽羅の油を売り出した、と『本朝世事談綺』にあります。匂いつきの極上の鬢付け油として売ったようです。
伽羅の油は極上の鬢付け油のことです。
髭の久吉が売り出した伽羅の油は、髭用の可能性もありますが、鬢付け油は髭用ほど固くはありません。
『女中道しるべ』(柏原屋 著、正徳2年/1712)に「大白唐蝋・胡麻油・丁子・白檀・山梔子・甘松・竜脳・麝香」の八原料から作るのを伽羅の油としていますが、文献によって材料は違います。また配分量もいろいろでした。
大白唐蝋は、イボタロウムシのオスの成虫が分泌する蝋分で、蟲白蝋ともいわれるものと思われます。
日本では蜜蝋やハゼの木から採る木蝋を使用してた可能性が高い。それに胡麻油、椿油、菜種油などさまざまな植物油を混ぜて鬢付け油を作っていました。蝋と植物油の配合によって固めのものから緩めものまで粘度を調節していました。これに匂いをつけるための香料を配合して店独自の鬢付け油を製造して売っていたと思われます。
ろうそくの溶けたものに松脂をまぜた鬢付け油は粘度は強く、髭や髷を固めて固定するには適していました。松脂は粘性は極めて高いのですが、「松脂煉は髪枯れて悪し」と『色道大鏡』(藤本箕山、17世紀後期ごろ)にあり、松脂は髪によくないのが認識されていたようです。
冒頭「伽羅の油は、鬢付け油です」と書きましたが、江戸後期の『都風俗化粧伝』(佐山半七丸)によると、さらさらの鬢付け油は、白粉の下地として塗っていたし、しもやけの治療薬として使っていたのがわかります。
同じ匂い付きの油では鬢付け油にも使われる丁子の「丁子油」は、防菌、防錆の効果があることから、日本刀の手入れに使われていました。この「丁子油」を鬢付け油に使用していた伊達男もいました。丁子は香料のグローブです。
伽羅の油、鬢付け油といっても、さまざまな製品が製造され、さまざまな用途に使われていました。
*挿入画像は、芝宇田川町花露屋喜左衛門(せむし喜左衛門)の店を描いた『歴世女装考』(山東京山/岩瀬百樹)
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