文明開化の象徴「ザンギリ」
Posted on | 3月 13, 2025 | No Comments
明治維新、文明開化によって多くの日本の古い風習が改められました。そのなかでもザンギリの洋髪が文明開化の象徴として存在感を示しています。
幕末、ペリー提督をはじめ多くの外国の外交官、貿易商らが日本を訪れました。彼らは、インド、東南アジア、清国などを歴訪している人が多く、国によって風俗が違うのは奇異に感じつつも理解していたようです。男性の頭髪に関しては、当時の清国は辮髪でした。
幕末、幕府や一部の大藩は配下の侍を欧米に派遣しました。彼らは市民から歓迎されたようですが、頭の上の丁髷は嘲笑の的だったらしい。頭にのせたピストル、頭の上に乗せた豚の尻尾などと揶揄されることもありました。欧米に派遣された侍は、そんな外国の人たちの反応を敏感に感じ取っていた可能性が高い。
いい例が明治維新で活躍した岩倉具視さんです。欧米視察で行った米国で、歓声があがり大歓迎されたと理解した岩倉さんですが、現地に先に行っていた子息から、頭の髷(立髻)が笑いの対象だったと知らされ、勘違いと知り現地で断髪しました。
諸外国を歴訪する外交官や貿易商と違い、欧米の一般市民にとって丁髷は奇異に映ったようです。
明治4年に出されたのが、いわゆる断髪令です。断髪令というと断髪を強制したかのようなイメージですが、その内容は丁髷でなくてザンギリにしていいですよ、といった緩いものです。
200年以上慣れ親しんだ丁髷です。庶民はなかなかザンギリにしませんでした。
そんな状況を見かねた木戸孝允さん(桂小五郎)は熱心にザンギリを勧めます。
「半頭頭をたたいて見れば因循姑息の音がする」
「総髪頭をたたいて見れば王政復古の音がする」
そして、
「ザンギリ頭をたたいて見れば文明開化の音がする」
と囃し立てザンギリの洋髪を推奨しました。
この俗謡は、木戸孝允さんが作ったという説もあります。
半頭は丁髷・月代です。総髪は幕末に流行った月代しない髪型です。
最後の「ザンギリ頭をたたいて…」が有名になり、ザンギリ頭が一躍、文明開化の象徴になったわけです。
庶民のザンギリへの移行は明治6年に明治天皇が洋髪にしたのを境に普及しはじめました。明治20年ごろには大半の男子は洋髪にしたといいます。慣れ親しんだ髪風俗は一朝一夕には変わらなかった。
*写真は、明治4年12月、サンフランシスコ到着直後の岩倉使節団一行。中央、髷姿(立髻)が岩倉具視さん。左端がザンギリを推奨した木戸孝允さん。
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