意外に早くからあった? 江戸の髪結床
Posted on | 12月 14, 2024 | No Comments
いま生活衛生業は16業種がありますが、そのなかで理容業・美容業、浴場業、クリーニング業は人々の日常生活に密着したサービス業として括られることが多い。
いづれの業も古来からある仕事ですが、権力者らを相手にしての仕事や仏事としての施湯など特殊な場合は別にして、一般庶民を相手にした仕事となると、クリーニング業の洗い張り業が早い。
江戸の場合はどうでしょうか?
天正8年(1590年)、8月に徳川家康が江戸に入府したその同じ年に
「伊勢の与市といえる者、銭瓶橋の辺り(此時は未此無之)に銭湯風呂一ッを立てる。風呂銭、永楽一銭なり。皆人珍しきとて入る」と『武江年表』に『慶長見聞録』を引いて記しています。
銭瓶橋はいまの日本橋川をはさんで日銀本店の対岸あたりです。天正8年はまだなかったようです。江戸城の辰口から道三堀を掘削して、その堀に掛けた橋です。
徳川家康が入府したばかりですが、江戸城の建設や家来衆の入府をあてこんで多くの人々がやってきたのがうかがえます。
2年後の文禄元年には、吉原傾城町が開かれ早くも廓ができます。
江戸城や武家屋敷の建設に携わる多くの男たちが江戸にやってきました。しかも単身者が多かった。
単身男性相手の仕事が興っても不思議ではありません。洗い張りをする地の女性がいたことが想像されます。傾城町にいくには身ぎれいにしていきたい。髪結がいてもおかしくありません。むしろ自然です。
江戸の髪結稼業は慶長年間(1596-1614)中ごろ、江戸城の入り口にあたる東海道は芝・赤羽橋あたりで興ったのが初という説が有力ですが、実際にはもう少し早く、あったとしてもおかしくありません。
湯屋と違い、洗い張り業は張り板があればできたし、髪結も道具一式を収めた鬢盥があれば繁華な辻で仕事ができました。文禄から慶長のはじめには江戸に髪結があったかもしれません。
タグ: 江戸の髪結, 髪にまつわるエトセトラ