怖い「おちゃない」話
Posted on | 3月 31, 2024 | No Comments
髪を失ってしまった人のために、カツラに使う毛髪を寄付する、ヘアドネーション活動は令和のいま定着した感があります。
ヘアドネーションが珍しかったころは、しばしば報道されましたが、いまではよほど奇特で特異なケースでなければ報道されないようです。それだけ普通に行われるボランティア活動になったのかもしれません。
日本でのカツラの歴史は古い。
人毛によるカツラは中世、室町時代に興ります。
朝廷に仕える官女たちの床まで届くほど長い垂髪を形つくるためのカツラです。カツラというより毛束といったほうが正しいかもしれません。
武士の台頭にともない朝廷の権力が衰え、経済基盤を失ったことが背景にあります。朝廷に仕えていた官女たちは普段は生業(なりわい)をして生計をたてていました。日常生活に長い垂髪は不自由です。普段は短い髪にして生活し、儀式などがあるときに毛束を継ぎ足して垂髪にして臨んだのです。
毛束にしろカツラを作るには髪の毛が必要です。そこで、「髪の毛は落ちていないかね」と呼びかけながら毛を集める職業が生まれました。「おちゃない」といわれる職業です。女性の職業とされています。「髪の毛は落ちていないかね」に由来する説と、「落ちている毛を買う」ことから「落ち買い」に由来するとする説とがあります。
「おちゃない」は集めた毛を束ね、梳いて、毛束に仕上げて、宮中の使える官女らに売ったのでしょう。
中世のころは単純な毛束で用は足りましたが、江戸時代になると、主に歌舞伎役者が装着するため、被るタイプのカツラが製作されるようになりました。金属(銅)の土台に毛を植え込み、複雑な髪型のカツラを創作します。歌舞伎役者のカツラから人気の髪型が誕生することはしばしばありました。
また、頭髪が薄くて髷が結えない武士のために、かつらの丁髷も製作されています。いまのハゲ隠しの男性カツラと同じ目的です。
毛束で作った丁髷の髻の底に、粘着性の強い松脂を多く配合した鬢付け油を塗り、頭に装着しました。激しく動くと脱落するので、静止状態でいられる儀式などの折に装着したようです。
江戸時代中期以降はカツラの利用が増え、髪の毛の需要は増しました。この時代、はたして「おちゃない」と呼んでいたかはわかりませんが、人毛を集める年配の女性がいたのが、江戸川柳からわかります。
それをみると、寺の和尚には何かと気を使っていたのがうかがえます。仏門に入る人が髪を剃り下した時に出る髪をもらい受けていたといわれています。しかし中には、寺の墓に葬られた死体を掘り起こして頭髪を削ぎ取る輩もいました。そんな事例を詠んだ怖い川柳があります。
「おちゃない」という職業は、貧しくも懸命に生きる女性の健気な職業かと思ったのですが、江戸川柳をみると、不気味な老女のイメージに映ります。中世の「おちゃない」はもしかしたら、死体は落ちてないか、という意味で「おちゃないか」と言っていたのかもしれません。
庶民が墓葬するようになったのは江戸時代中期からで、それまでは貴人は別にしても、死体は野ざらしにされてることが多かった。
一本一本髪の毛を集めていたのでは、とても仕事にならない。やはり「死体は落ちてないか?」と死体を探しては髪を集めていた? そして、寺の住職に金品を収めていた。
不気味な存在に思える「おちゃない」です。
ですが、このイメージは現代人の価値観、生命観に基づくものかもしれません。室町時代の中世、その後の近世の価値観、とくにここでは死体観はいまとはまったく違うからです。
江戸時代は死刑にした罪人の遺体を刀剣の試し斬りに用いていたのは有名な話です。
死人の髪の毛を抜き去るのはもしかしたら黙認されていた行為だったかもしれません。
*図版は、15世紀末に作成されたといわれる「三十二番職人歌合」絵巻の5番目に登場する「桂の女」の絵です。
桂女(かつらめ)は、頭に被り物「かつら(蔓)」を付けていたことからそう呼ばれた女性という説のほかに、現在の京都市西京区の桂川右岸(西側)、下桂荘に由来する下桂村に居住した女性を「桂女」という地名説があります。
絵を見ると、左の女性は毛束を束ねているように見えます。手にしているは毛であることは間違いないようです。腰紐に毛束を挟んでいます。
『ウィキペディア』によると、「時代により巫女、行商、遊女、助産師、予祝芸能者といった役割を担った」とあります。
この女性が「おちゃない」かもしれません。あるいは「おちゃない」が集めた毛を買って商品の毛束を作っているのかもしれません。
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