実質的に理美容が一体化した平成時代
Posted on | 12月 1, 2018 | No Comments
日本では、理容業理容師、美容業美容師に分かれています。しかし、海外の多くの国では分かれていません。理容と美容が分かれてるのには日本には長い歴史があるからですが、その長い歴史に、実質的に終止符が打たれたのが平成の時代です。
理容と美容が分かれているのは、江戸時代からの伝統があるからです。両業の起源というか出自が違います。
江戸時代初期、一銭剃り、髪結床といわれたのが床屋です。明治維新の断髪令で西洋理髪に転換し、床屋から理髪業・理容業へと変わりました。男性客を相手に主に男の職人が施術していました。
床屋より遅れて江戸中期ごろ、職業としての髪結が誕生しました。女髪結です。遊女、富裕層の女子の髪を結っていましたが、江戸後期には一般女性の髪を結うようになりました。江戸時代は奢侈を嫌う幕府から統制される職業でしたが、明治以降は公許され女性の職業として定着します。
明治の後期になるとマルセルアイロンが普及し、さらに電髪といわれるパーマネントヘアが登場します。昭和初期ごろから主に女性の職業として確立し、戦後になるとコールドパーマネントの普及とともに広まっていきます。
理容業と美容業、簡単に出自を紹介しましたが、もともと理容は男性客、美容は女性客が対象です。
技術については、戦後は理容は刈り込みと顔剃り、美容はパーマネントと、なでつけセットがメインでした。
ところが昭和の30年代ごろから男性の長髪化、アイロンによるパーマネント技術が普及する一方、女性のショートヘア化、サスーンカットの登場でカット&ブロー技術が普及します。ヘアスタイルは男女を問わず多様化し、技術の境界線があいまいになります。
これに対応する形で、理容美容の両業間でパーマネント戦争といわれる業権闘争が勃発。結果は、長年の伝統を継承し、理容業は男性客、美容業は女性客を前提とし、理容業のパーマネント制限、美容業のカット制限という形で昭和53年通知で収束しました。
一方、法律面では理容師法と美容師法は双子といえます。
昭和22年に理容師法が施行されましたが、この法律には美容業も含まれていました。ところが理容は男性客、美容は女性客が相手で、両業の業態が違うことから、昭和32年美容業界の強い意向もあって理容師法から分離する形で美容師法が誕生しました。結果、両法は共通する条項が多数ある法律になって、現在に続いています。
平成時代は、ヘアスタイルの多様化がいっそう進んだ時代です。美容店に行く男性客が増加し、理容店でも女性客を積極的に受け入れるなど、理容美容における男女の別はなくなり、平成27年には昭和53年通知を廃棄する通知が新たに出されたことら、両業の技術面での違いはなくなりました。
現在では、理容師ができないのはまつ毛エクステンション、美容師が制限を受けているのはシェービングの宣伝・告知だけです。ほぼ両業は同じです。
平成も最後の2018年11月27日に開かれた厚生労働省「厚生科学審議会・生活衛生適正化分科会」で消費者委員から、理容業と美容業を分ける必要性を疑問視する意見が出されましたが、一般人の目には両業は同一と映っています。
理容美容を代表する両委員は理容美容の統合について「近い将来には」と言っていましたが、これは当面はあり得ない、ということです。
世の中の変化、ファッション、流行の変化は早い。理美容業もそれに対応していく必要があります。しかし、法制度の対応は世の中の流れに追いついていないのが現状です。
理美容業の周辺にはネイル、エステティック、リラクゼーションなどがあり、理美容を含めて美容系職種といわれています。これらの職種は社会の変化を受けやすく、栄枯盛衰が激しい業域です。
平成の次の時代は、美容系の職種を総括するような、つまり顧客の衛生と安全を担保するうな法規制にし、個々の職種の具体的な技術、定義は自主規制に任せるような仕組みが必要かもしれません。
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タグ: 理美容ラウンジ, 理美容統合, 規制緩和