明治初期 無店舗営業に移行した女髪結
Posted on | 1月 6, 2025 | No Comments
令和になって自前の店を持たずに仕事をする理美容師が増えています。フリーランスの理美容師として、シェアサロンを活用したり、業務を受託したり、施設などへの出張理美容を専門にしている人もいます。
江戸時代に理容の髪結、美容の女髪結の職業がおこりましたが、この時代の髪結は店で営業する髪結床と、廻り髪結や道端の露店での営業する辻髪結が併存していました。女髪結は表向きは禁止されていた仕事なので、得意先の客宅に忍んで出かけて髪を結っていました。寛政の改革や天保の改革で禁令がだされるたびに、仕事を控えていました。
明治になると女髪結は政府から公許され、晴れて堂々とできる仕事になります。店を構えて仕事をする女髪結は徐々に増え、明治12年には東京府内の女髪結は5千人を超えています(東京府勧業課、営業所の数は不明です)。
店を構える女髪結が一本調子で増えていったかというと、そうではありません。一時減少する事案が起きました。明治政府による税制改正が背景にあります。
明治6年の地租改正により農地からの税収入を規定し、農地以外の税収については明治8年にそれまで1500以上あった雑税を廃止(「雑税廃止布告」)し、新たな徴収に移行します。
新たな税制は商売や事業をしている店舗や家屋が対象だったため、店を構え看板を出していた女髪結のなかには看板を引っ込め、出張に移行した女髪結がいました。新たな税制については、その課税方法や税率などの詳細はわかりませんし、自治体によって差異があったかもしれません。
出張に移行した女髪結がどのくらいいたかは不明ですが、相当数いたのではないかと推測できます。
税金逃れで、店を畳んで出張営業に切り替えた明治初期の状況と、令和のフリーランス理美容師による無店舗営業者では状況はまったく違います。令和のいまは働き方改革により、副業兼業など多様化した働き方が可能です。理美容師は自分に合った働き方の一つとして無店舗営業を選ぶことができます。
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