女髪結が増え低料金化して髪結需要が拡大
Posted on | 2月 28, 2025 | No Comments
江戸の町に女髪結が出現したのは、江戸時代中期といわれてます。同じころ「山くじら」の看板を掲げて、猪などの肉料理を提供する店が現れました。
江戸時代は仏教の教えで肉食は禁忌されていましたが、病気のときなど薬膳の趣旨で肉食が黙認されていました。幕府の威光をはばかって、山のくじらと称する看板にしたようです。実際は、猪や鹿、牛や馬の肉も扱っていたいう説もあります。
女髪結と「山くじら」の肉料理屋、ほぼ同時期に出現し、出現した当時は両方とも高料金で営業していました。女髪結は200文と高額でした。山くじら屋が提供する肉料理も高額だったといわれてます。
女髪結賃は時代が下ると100文になり、さらに50文、32文…、江戸時代後期の天保の時代になると24文と下がり続けます。理由は女髪結が増えたからです。それまでは遊女や大店の女将さんが女髪結に結ってもらう程度でしたが、料金が下がったことで、長屋のおかみも女髪結に頼るようになったといいます。
つまり低料金化によって需要が拡大した、といえます。
一方の「山くじら」屋の料理は料金が下がりませんでした。滋養にいいし、なんといっても、おいしい。肉料理を楽しむ江戸の人は増えたのですが、材料の肉が需要に追いつかなかったからです。
そのへんの状況について、寺門静軒さんは『江戸繁盛記』に腹立ちまぎれに紹介しています。「女が髪結に任せるのはけしからん!」と。いつの時代も世の変化を面白く思わない老人はいるものです。
寺門さんが怒るほど、女髪結に結ってもらう女性が多かった、といえます。
*絵は、歌川広重「名所江戸百景 びくにばし雪中」
タグ: 女髪結, 江戸繁盛記, 髪にまつわるエトセトラ