髪結床を二ヵ所増やしてほしい
Posted on | 2月 29, 2024 | No Comments
開港後、間もない慶応4年3月に神戸の走水町の年寄二人が役所に出した「乍恐口上」(*)という書面が残されていて、「髪結床を二ヵ所増やしてほしい」などと要望しています。
書面は開港後、多くの外国人が訪れ、諸商人など人出が増えたため、それに対応するために、髪結床のほか湯屋、芝居小屋、見世もの小屋などの増設を認めてほしいと願い出たものです。
走水町といえば横須賀にも走水の地名がありますが、いまの神戸市元町にあった町で、後に走水町のほかいくつかの町が合併して元町になった、といわれています。
神戸に関しては、所領は複雑に変遷していますが、幕末、神戸が開港した当時は幕領だったようで、江戸の町と同じような町内自治が行われていた可能性が高い。町年寄・町名主・家主による自治で、髪結床、湯屋は一町一株を原則とし、町内自治に組み込まれていました。「乍恐口上」をみると、芝居小屋なども町年寄が管理していたようです。
一町一株の床屋株ですが、株を所有していれば同じ町内であれば複数の髪結床を開くことができます。これは江戸府中の話ですが、幕領の走水町も同様だったはずです。しかし、株を所有しても町内に髪結床を開くには御上の許しが必要だったのかもしれません。
もしくは町域が広がり、新たな町が二町できて、それにともない床屋株の発行を願い出たのかもしれませんが、この書面からは判断できません。
(*)「乍恐口上」(所蔵/神戸大学附属図書館)
走水町年寄 長四郎
同 與兵衛
乍恐口上 走水町 一当表御開港ニ付外国人并ニ所々より諸商人多分入込有之候ニ付当所是迄之仕来ニ而者引たり不申候間増職且亦追々繁栄ニ相成候ニ付当地為潤ひ之左ニ御願奉申上候 一髪結床 二ヶ所 一湯屋 二ヶ所 一定芝居小家 一ヶ所 一小見世もの小家 二ヶ所 右之通御聞済御成被下候ハヽ難有仕合奉存候以上 慶応四年辰三月 走水町年寄 長四郎 同 與兵衛 御役所
*「乍恐口上」が二人の町年寄が連名なのは、月番制で交代で町年寄役を担っていたからだと思われます。
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