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ドクター・W・キャンブルさんは「諸説あり」の人

Posted on | 11月 3, 2021 | No Comments

logoドクター・W・キャンブルという名前を聞いて、芝山兼太郎さんを思い浮かべる業界人は、美容業界の歴史に精通した人だと思います。

芝山さんといえば日本で美顔術を普及させたレジェンドです。ご息女の芝山みよかさんは日本エステティック協会の初代理事長をつとめています。
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芝山さんに美顔術を指導したのがキャンブルさんといわれています。日本の美顔術、エステティック界にとっての大恩人です。このキャンブルさんの肩書や来日した経緯は諸説あってよくわかりません。

『BEATY LEGENDS’ STORIES』(ビューティレジェンド ストーリーズ、著・並木孝信、女性モード社)によると、
「明治38(1905)年の晩秋のある日、中年客が来店した。米国の医科大学で生理学を教えているドクター・W・キャンブルーと名乗った」と、突然来店した様子を描いています。
同書ではキャンブルーと表記していますが、ここではキャンブルで統一します。

芝山さんは日本人相手の「日之出軒」と外国人相手の「パレス・トイレット・サロン・シバヤマ」を横浜山下町に開業していますが、キャンブルさんは後者のお店に来店したのだと思います。肩書は、この一文では大学教授ということです。

この出典とは別に『遥かなり昭和』(著・大場栄一、創英社)という書籍があります。副題は「父子二代の天皇理髪師」。
この書籍で、大場栄一さんは父親の大場秀吉さんのことを詳しく紹介しています。秀吉さんは初代の天皇の理髪師として知られた人です。

芝山さん、大場さんは明治後期から大正にかけて日本の理髪・美容界を技術の面で指導し大きな功績を残していますが、一時期二人は横浜山下町のグランドホテル内の理髪室でともに職人として働いていたことが、『遥かなり昭和』で紹介されています。

大場秀吉さんは上海の租界地で西洋理髪を習得、明治31年に帰国し、グランドホテルの理髪室で働くことになりました。その時、一緒に働いていたのが芝山さんです。そのホテルにギャンブルさんがやってきたのは、同書によると明治33年のことです。

来日することになったいきさつは、同書に詳しい。要約すると、
ホテルの理髪室の客は白人ばかりなので、白人の理髪師に施術させたい、というホテルの米国人支配人の意向があり、支配人が理髪師のキャンベルさんを日本に招聘したのがことの始まりです。
同書によると、キャンブルさんは「フランス系の技術を習得した英国系アメリカ人」となっています。

ところが、この話を聞いたホテル内理髪室は猛反発し、話を撤回させたのですが、すでにキャンベルさんは米国から日本に向かって出航していました。長旅を終えて、はるばるやってきたギャンブルさんを気の毒に思った理髪室の面々は、滞在費と謝礼を出して、その技術を披露してもらうことにし、キャンベルさんの講習が実現しました。
ところが、カット、シャンプー、シェーブなどの腕前は、西洋人相手に多くの経験を積んだ芝山さん、大場さんにはものたりなかったらしい。そこでキャンブルさんはフェイシャル技術を披露した、、。しかもその費用は、両氏が折半したと具体的に記述されています。

キャンベルさんについて、二つの出典は相違します。来日した年も違えば、肩書も違います。
来日した年は、『遥かなり昭和』は明治33年ですが、『BEATY LEGENDS’ STORIES』は明治38年です。5年のずれがあります。肩書も、理髪師なのに対し、医科大学で生理学を教える教授となっています。

『BEATY LEGENDS’ STORIES』では芝山さんの稿のほかにもキャンブルさんが登場します。旅館の女将から美容家に転身し成功した遠藤波津子さん(初代)です。
明治35年に洋行して美容の仕事を志した遠藤さんは「翌年、横浜居留地に住むドクター・W・キャンブルーから、ハイジェニック・フェイシャル・カルチャアーという顔面美容のマッサージ法を学んだ。キャンブルーは米国の医科大学で生理学を教えており、血行療法を主としたマッサージ法を研究していた。」とあります。

キャンブルさんは明治36年に横浜の居留地に居住していた、と理解できます。芝山さんの稿と同様、医科大の教授です。
明治の初期には多くの外国人教授が来日し、日本の学校で日本の学生を指導しているので、キャンブルさんも、そのために来日した可能性は否定できません。しかし明治30年代には外国人教授の多くはその役目を終え帰国していていますし、もし日本に居住するなら大学に近い築地の居留地に居を構えるのが普通です。

もしかしたら、明治33年の来日でホテルの理髪室の話が反故になったキャンベルさんは「本国の財産は全部処分して帰るに帰れない。呼び寄せた責任をとってどうにかしてくれ」と、ホテルの支配人に泣きついたのかもしれません。そこで、支配人が居留地にとどまれるよう手配した。(もしかしたら、こうだったんじゃないか劇場の想像です)

そいれにしても、キャンブルさんは医学の先生なのか、理髪師なのかは、確かなことはわかりません。

両書の著者とは何回かお目にかかっていますが、いい加減なことを書くような人ではありません。ご両人とも誠実な真面目な方です。何か誤解や記憶違いがあったのかもしれません。『BEATY LEGENDS’ STORIES』は、掲載したレジェンドが書いた自伝や半世紀などを引用しており、引用元の出典に誤解があったかもしれません。

『遥かなり昭和』にはキャンブルさんの講習の後日談があり、1週間の講習を終えて帰国したキャンブルさんが残していった、当時の日本にはない器具類を芝山さんがすべて買い取ってしまった。抜け駆け的に器具をせしめた芝山さんと間にひと悶着があって、芝山さんは結局、ホテルの理髪店をやめてしまった、と書いてあります。

この二人、その後の理美容業界に大きな影響を与えた大日本美髪会では、ともに理事として全国各地を講習して歩いて後進を指導しています。二人はよきライバルであり、同志でした。『遥かなり昭和』では、家族ぐるみの交流があり、大場栄一さんは芝山さんを、芝山みよかさんは大場秀吉さんをそれぞれ、おじさんと呼び合っていた、と記述されています。

キャンブルさんの来日、肩書については、結局は「諸説あり」なのですが、いまとなっては、どうでもいいことなのかもしれません。

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タグ: 天皇の理髪師, 芝山兼太郎, 髪にまつわるエトセトラ

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