しゃぐま・髢・あんこにみる日本髪文化
Posted on | 7月 13, 2025 | No Comments
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「しゃぐま」「髢(かもじ)」などの言葉には、いずれも入れ髪の意味があります。日本髪にボリュームを持たせ、美しい形に整えるために使用されていたのが入れ髪です。
しゃぐまとは何か?
「しゃぐま」は、チベットやモンゴル、パキスタン北東部などに生息するウシ科の動物・ヤクの毛のことを指します。「赤熊」という漢字を当てることもあり、これは赤茶色の毛をしたヤクがいたことに由来しています。ヤクの毛には白、黒、赤茶色などの色があり、白毛は「白熊(はくま)」、黒毛は「黒熊(こぐま)」と呼ばれます。
実際には白毛のヤクが多く、これを赤や黒に染めて使用していました。入れ髪用のしゃぐまには赤く染めた白熊、黒熊には黒く染めた白熊が使用されていたと考えられます。
しゃぐまの歴史と武士文化
しゃぐまの日本への伝来は古く、中世にはすでに大陸から伝わっていたとされます。兜や槍の装飾品として、武士階級に重宝されていました。
戊辰戦争では、官軍の兵士がしゃぐまを用いた被り物を着用していたことが知られています。江戸城開城後、幕府が保管していた白熊・黒熊・赤熊の被り物を用い、幕府軍と戦った記録もあります。これらの毛製品は当時、高価な舶来品とされていました。
16世紀に髢としても使われたしゃぐま
16世紀中ごろに来日したイエズス会士ルイス・フロイスの『日欧文化比較』には、日本女性が中国から渡来した鬘を使用していたという記述があります。
「ヨーロッパの女性は自分の髪に他の髪を添えることはめったにしない。日本の女性はシナから渡来する鬘をたくさん買っている」
この記述から、明(中国)からヤクの毛を使った鬘や髢が大量に輸入されていたことがうかがえます。
16世紀当時の日本女性の髪型は、まだ垂髪(すいはつ)が主流であり、現在のようなアップスタイルの日本髪は登場していませんでした。髢として毛束を継ぎ足し、垂髪を形成していたと考えられます。
おちゃないと赤熊
室町時代には、髢に使用する毛束を「おちゃない」と呼ばれる女性が拾い集めて作っていました。「落ちていないかねー」と言いながら髪の毛を探したことから、この職業名が生まれたといわれています。
拾った髪の毛を髢として再利用していたものの、それだけでは量が足りず、大陸から赤熊などの毛が輸入され、補われていたようです。
赤熊が入れ髪になる時代
赤熊が入れ髪として本格的に使われるようになるのは、17世紀末から18世紀にかけてです。この時期、日本髪の基本構成であるタボ・鬢(びん)・前髪・髷(まげ)が整い、日本髪の形式が確立します。
18世紀中頃になると、日本髪が庶民にまで浸透し、さまざまな凝った髪型が登場するようになります。その際、より華美な髪型を演出するために、入れ髪として黒熊などの毛が活用されていたと考えられます。
髢の意味の変遷
髢(かもじ)とは、もともとは毛束のことです。室町時代、宮中の女性たちは日常生活の利便性から髪を短くし、儀式の際にのみ髢を継ぎ足して垂髪としていました。
しかし、18世紀になると、髢もまた「しゃぐま」と同様に、入れ髪を意味する言葉として用いられるようになります。
昭和の美容師が呼んだ「あんこ」と「ぞうもつ」
戦後の昭和期、美容師の間では入れ髪のことを「あんこ」と呼ぶことがありました。これはおそらく、饅頭の中身(餡)に似ていることから来ているのでしょう。
中には「ぞうもつ」と呼ぶ美容師もいました。語感からは内臓(臓物)を連想しますが、「内側に詰めるもの」という意味合いで使っていた可能性もあります。
戦後、日本髪は次第に廃れていきましたが、「庇髪(ひさしがみ)」を結う女性は一定数いました。年配の方ならご記憶にあるかもしれませんが、女優・タレントの塩沢ときさんがしていた髪型がその代表です。
あのボリュームある髪型は、たっぷりと「あんこ(入れ髪)」を詰め込んだ庇髪です。ただし、素材にしゃぐまが使われていたかどうかは不明です。
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