衛生兵に選抜された理髪師──ある理容師の戦争体験
Posted on | 5月 14, 2025 | No Comments
令和7年(2025年)は昭和100年にあたります。終戦から80年という節目でもあり、戦争に関する話題が多く取り上げられています。
戦時中、徴兵された理髪師の多くは衛生兵として従軍していたといわれています。ある理容師の方から聞いた話によると、衛生兵には理髪師のほか、仕立屋、靴職人、時計職人など、手先が器用で非力と思われる職種の人たちが選ばれることが多かったそうです。確かに、ハサミや針、ピンセットといった道具に慣れていたという点では納得できますが、治療となると話は別で、本当に大丈夫だったのかと思ってしまいます。
この話をしてくださったのは、戦後の昭和時代、ある宴席で隣席した理容組合の支部長の方です。ニューギニアに派兵され、無事に帰還された方でした。
その方の話では、衛生兵は2人1組で担架を持ち、戦場を駆け巡る役割を担っていたそうです。ある時、ふと顔を上げると、敵兵が塹壕から銃口を向けていたとのこと。しかし次の瞬間、敵兵は手を左右に振り、「邪魔だ、どけ」というジェスチャーをしてきたそうです。撃たれずに済んだのは、衛生兵を攻撃してはならないという国際的なルールがあったからだと、後になって知ったといいます。
その敵兵は、当時ニューギニアを統治していたオランダの守備兵だったのかもしれません。日本軍は当初こそ勝利を収めたものの、後には補給も途絶え、部隊は上層部から見捨てられる形で「棄兵」となり、現地での自給自足生活を強いられたそうです。
しかし、強制労働に苦しんでいた地元住民にとっては、日本軍はある意味「解放軍」でもあり、食料や生活の援助を受けることもあったといいます。支部長だったその理容師の方は、そうした自給自足の体験談をユーモアたっぷりに語ってくださいました。
とはいえ、戦後80年を迎える今、戦争を「面白おかしく語る」ことには慎重にならざるを得ません。
そういえば、昭和10年代の戦時中、配給品だった木炭を隠し持ち、木炭パーマをかけに美容室に行列する女性たちの話も、現在ではタブーとされるかもしれません。
冒頭で紹介したように、理髪師が衛生兵として任務に就くことが多かったというのは、ある一人の理容師さんの体験談に基づいていますので、すべてのケースに当てはまるとは言い切れません。ただ、その方が言っていた言葉が心に残っています。
「平和はありがたい。平和でなければ理容の仕事はできない。」
(戦前は「理髪師」、戦後は「理容師」と名称が変わりました。)
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