女子の縮髪
Posted on | 5月 14, 2023 | No Comments
「女子の縮髪」と題して、マルセルアイロンを紹介した一文が『明治事物起源』(石井研堂・著)に掲載されています。
同書は「ヘーヤアイロン(俗称こて)」(原文のまま)と書いていますが、マルセルアイロンのことです。
明治20年(1887年)発行の書籍を引用して、「英国女子の間で、このマルセルアイロンを使って整髪するのが流行っている」と記述しています。
マルセルアイロンは1872年(明治5年)にフランス人のマルセル・グラトーが発明した器具で、アイロンこてを熱して、その熱で毛髪を一時的にウエーブ状にします。当初はパリの娼婦らがこの器具を使ってウエーブヘアにしたといいます。徐々に一般の婦女子に広まり、発明から15年後には英国でこのアイロンが広く使われていたのが『明治事物起源』からわかります。
『明治事物起源』は、大正9年(1920年)に東京市の高等女学校の先生が生徒に、髪を縮ませるようなことをしないよう、指導したことが紹介されています。それから10年後、「昭和五、六年頃にはヘーヤアイロンは、各家庭これを備えざる家とてはなきくらゐに、この縮ら髪がはやれり」と書いています。昭和五、六年ごろの状況は、著者の石井研堂さんの私見ですが、一般家庭にマルセルアイロンが普及していたようです。
大正後期から昭和にかけて、洋裁学校が急増し、また化粧方法もそれまでの白赤黒の和化粧から、肌色、目回りを重視した洋化粧へと変遷しています。髪もマルセルアイロンが普及して洋髪が注目されるようになります。
パーマネントウエーブは、大正後期には日本で行われてましたが料金は超高額でした。それが昭和初期に普及しはじめ、さらに昭和10年ごろには安価な国産機のパーマネント機が生産され、一気広まっていきました。その背景には、マルセルアイロンでウエーブヘアにするセルフ施術が普及していたことがあげられます。セルフでつくるウエーブより、美容室で行うパーマネントのほうが、持ちがよく、きれいに仕上がるからです。おしゃれ心のある女性は美容室に通いました。
昭和10年代後半、時は戦時下です。おしゃれ心のある女性は配給品の木炭を隠し持って、電気にかわって木炭を熱源にする木炭パーマをかけに美容室に通ったのです。
戦時下の昭和10年代から戦後にかけて、美容業界は女髪結からパーマ屋へと業容変換しました。その背景には服飾、化粧、そしてマルセルアイロンの普及があったといえます。そして電髪は昭和30年ごろに頂点を迎えます。
男性が丁髷からザンギリの洋髪になるまでにやはり20年ほどかかっています。髪型や風俗が変化するには時間がかかりますが、男性のザンギリは国が主導したのに対し、女性の洋髪は自主的だったのが大きな違いといえます。
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