「モボ・モガ」の時代と女性の洋装化
Posted on | 6月 30, 2021 | No Comments
大正時代は大正モダニズムの時代で、その象徴の一つとされるのが「モボ・モガ」の若者風俗です。
第一次世界大戦後、日本の経済は好景気でした。大正モダニズム、大正浪漫、大正デモクラシーなど大正時代は、民本主義や自由主義的な思潮が広がりました。このような背景があって、都市生活者の洋風化がすすんだ時代といわれています。
当時書かれた小説にはモダンガールが多く登場します。また後年書かれた女性史や社会史などの書籍も、当時はモダンガールが一世を風靡した時代として認識して著されているものが多い。
モダンガールとして紹介されている写真を見ると断髪にカールヘアの洋装女性が多くあります。
しかし、実際のところはどうなのでしょう。
大正末期にはパーマネント機は輸入されていましたが日本で数台しかありません。マルセルアイロンは一部普及していましたが、使いこなせる美容師は少ない。大正時代の末ごろから昭和初期にかけてモダンがールが存在したのは確かですが、その数は極めて少ない。
掲載した写真はモダンガールとして、多くのメディアに紹介されている写真です。昭和3年(1928)の撮影となっています。昭和3年でも極め珍しい風俗で道行く人の注目を集める存在で、後ろの男性が興味深げにながめています。
考現学者の今和次郎さんが昭和元年(1925)に銀座で行った調査では洋装女性は1%に過ぎません。2年経った昭和3年でも珍しい存在でした。洋装化、断髪姿が普及しはじめるのは昭和5年以降、とくに国産パーマネント機が普及する昭和11年以降からです。ちょうど戦時体制と重なっていますが、「パーマネントはやめませう」の標語とは裏腹に急速に女性の洋装化、断髪、さらに洋風の化粧方法は広がっていくのです。
美容室には配給品の木炭を隠し持った女性が列をなし、洋裁を学んだ女性はおしゃれな洋服の型紙を求め、高価な化粧品は製造禁止されていましたが化粧品の出荷は戦争末期まで増え続けます。戦時体制下の女性のおしゃれに対する行動をみると、悲惨だった戦争の違った一面が浮かび上がりそうです。
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