髪結床の大暖簾
Posted on | 7月 14, 2022 | No Comments
髪結床といえば暖簾と障子絵がつきものです。暖簾や障子に描かれた絵が、その髪結床の屋号になりました。
多いのが奴の絵で、奴床と呼ばれました。地元の髪結床なら奴床でわかりますが、別の町の奴床は町名とともに呼んだようです。
江戸古川柳には、奴床にまつわる句が多くあります。
髪結床へ来て痔の薬くんな
奴の絵はふんどし姿の奴を後ろから描いたものが多く、尻がクローズアップされています。奴床の尻の絵を見て痔の薬を置いてある薬種見世と勘違いした、と想像して詠んだ川柳です。それほど奴の尻の絵が目立ったのでしょう。(誹風柳多留116、天保の初めころと思われます)
奴床以外にも鬼床、その近くの桃太郎床、あるいは桜や梅の絵を描いた桜床や梅床など、いろいろな絵柄が川柳に登場します。鬼床を退治するという意気込みの桃太郎床のようです。
川柳に登場する絵柄のほかに役者絵の大暖簾もありました。人気歌舞伎役者の当たり役を描いた絵です。役者を贔屓にしていたのでしょう、役者が髪結に贈ることもあったといいますが、これが客寄せの宣伝になりました。
暖簾や障子に描かれた絵柄はだんだん派手になり、サイズも大きくなり、大暖簾といわれるようになりました。しかし、派手になった暖簾と障子の絵が幕府の目にとまり、天保の改革で、「髪結床障子暖簾等華美禁止」(天保13年3月)の触れが出されています。
触れが出された当初は、派手な暖簾や障子は影を潜めたことでしょうが、天保の改革が頓挫すると、また派手な大暖簾、障子絵が復活したのは想像できます。
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