長髪賊と長髪族
Posted on | 6月 14, 2021 | No Comments
長髪「賊」と長髪「族」。読みは同じですが、なかみは当然違います。
長髪賊は、太平天国の乱(1851-1864)で、清王朝に反旗を翻した反乱軍が長髪だったことによります。太平天国の乱を別名「長髪賊の乱」ともいいます。この乱で反乱軍は、目的の一つに漢民族の復興を掲げました。滅満興漢というそうです。
17世紀に明を倒し清王朝を建てた満州の女真族は、征服した漢民族に対して辮髪を強要しました。髪を切るか頭を切るかと迫られ、多くは辮髪にしましたが、気骨のある男性は辮髪を嫌って処刑されたといいます。とくに南部に多かったといいます。
漢民族にとって辮髪は屈辱だったようです。
日常生活についてまわるのが髪型、たかが髪型、されど髪型です。
髪型は、いまは身だしなみやおしゃれとして、日常生活の一部になっていますが、過去には身分を表していた時代もありましたし、主義主張を表現する手段として髪型を使う人もいました。長髪賊ならぬ長髪族です。
1960年代から70年代にかけて米国で反戦運動がおこり若者の多くは長髪にして、反戦の意思表示をしました。日本でもこのころロングヘアにする若者が増え、「長髪族」と呼ばれていました。日本での流行は、反戦というイデオロギーよりはおしゃれ、ファッションとして流行りました。
髪型の歴史を俯瞰すると、このころから、ロングからショートまで髪型の多様化がおこり、現在に至っているようです。
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