廻り髪結い で 訪問福祉理容をPR
Posted on | 9月 11, 2010 | No Comments
「平成の廻り髪結い。それが訪問福祉理容。」
訪問福祉理容を事業化する全国理容連合会が作成したポスターのキャッチコピーだ。
「廻り」とは、道具を持って訪問し、
髪の結い直し・顔剃り・耳そうじなどを施した、
江戸時代の理容師のことです。
と続く。
奉行所は、いまの警察と司法を兼ねた役所で、髪結いは奉行所の仕事に協力した。
その一つが通牒、密告である。
床屋は、多くの人が店に訪れることから情報収集に適している。髪結い職は、平安時代後期におこった職業と伝えられるが、人の探索目的に生まれた職業である。
奉行所の官吏である与力、同心の私的な協力者として岡引や目明しがいるが、それに類する情報提供の協力者だった。
江戸の町には多くの橋があった。その番をする番所の役割もしていた床屋もある。これは橋の近くに床屋が多くあったからだが、橋の下には河原乞食、いまでいう芸能人・タレントが多く住みついていて、彼らは床屋の得意客だった。河原乞食、傾き(歌舞伎)者は斬新な髪型、衣装をして、その髪を結う床屋には多くの客がやってきた。今の青山、原宿に美容室を構えるようなものだった?
いづれにしても、江戸の時代から、芸能者と髪結いは、いまでいうならタレントとヘアメイクの関係同様、密接だった。
廻り髪結いは、店を構えずに遊郭や大店など得意先を回って髪を結っていた。一種のプライベート・サービスの提供者で、公共性がない分、奉行所の管理を受けることは少なかった。
「平成の見回り髪結い」は、店を構えていることが前提で、衛生管理や傷害保証なども万全だ。
明治4年8月9日に断髪例が出て、近代理髪業に生まれ変わったが、理髪業の所管は江戸時代と変わらず警察だった。終戦を経て現在の厚生労働省になった。
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